皆さん、こんにちは。今回は、日本の地下に隠された歴史の謎に迫る旅にご案内します。私たちの足元深くには、未知の文明の痕跡、軍事地下要塞、そしてマッドフラッドの謎が息づいています。
日本の地下要塞の一つ。横須賀に存在する軍事地下要塞「千代ヶ崎砲台跡」もちろん! お馴染みの煉瓦建築です。歴史から消された文明の痕跡なのでしょうか・・・
軍事地下要塞!戦争遺跡は再利用されただけなのか!?
横須賀には多くの軍事要塞が存在しています。そしてそれらは、高度な建築技術を必要とする煉瓦建築で、芸術的センスも兼ね備えた、戦争とは無縁なフォルムと雰囲気をかもしだしています。
丘陵を掘削し煉瓦建築で軍事地下施設を建造し埋め立てて造り上げたと言うのです。たった3年で完成させているとか・・・当時の技術でできたのでしょうか・・・
戦時においてこの様な煉瓦アーチデザインは必須だったのでしょうか?とても精巧に造られています。手間暇、時間をかけている場合ではない時に造られたとは到底思えません。
千代ヶ崎砲台跡にある資料館では興味深い写真を見る事ができる。スターフォートの痕跡でしょうか?この様な兵器も時代背景から見てオーパーツなのかもしれません。
この様な榴弾砲が設置されていたとか・・・
写真にある様な兵器も実は未知の文明の遺産で、この施設と一緒に掘り起こされただけかもしれません。それは溶接の歴史から紐解けます・・・
溶接の歴史から見る戦争遺跡
溶接の歴史を振り返り考察してみると、これら地下要塞はもちろんですが、そこに存在していた戦争兵器、巨大な「榴弾砲」なども溶接がない時代に造る事ができたのでしょうか?
結論から言います。当時の日本軍に高度な溶接技術は難しかったはずです。
少し前まで鎖国していた国に最先端技術は入ってきていません。
溶接の歴史から、榴弾砲などの巨大金属兵器の製造を想像してみて下さい!溶接なしで造れますか?
古代からの接合技術
私たちの祖先は紀元前3000年頃から、金属を接合する技術を駆使していました。メソポタミアで発見された銅製の飾り板には、ろう付けが施されており、古代エジプトのツタンカーメン王の黄金の棺からは、鍛接された鉄製の装飾品が見つかっています。これらの発見は、古代の人々がすでに高度な接合技術を持っていたことを示しています。
この事からも、私たちが教わった歴史には疑問を抱かずにはいられません。マッドフラッド的視点があると容易に理解できます。歴史から消された文明があったと言う事です!
産業革命がもたらした変革
しかし、溶接技術が現代の形に近づくのは、産業革命を経て19世紀に入ってからのことでした。1800年にはイギリスのデイビーがアークを発見しましたが、溶接への応用は電力供給の問題から遅れていました。ファラディの電磁誘導の発見や発電機の開発により、溶接技術の基盤が整いました。
アーク溶接の誕生
1880年頃、フランスのドメリスタンが蓄電池の鉛板接合に炭素アーク熱を利用し、その弟子ドベナールが実用的なアーク溶接法を開発しました。これにより、アーク溶接は工業的な利用が可能になり、ロシアとアメリカで金属アーク溶接法が開発され、溶接技術は急速に進歩しました。
溶接技術の黄金時代
19世紀から20世紀初頭にかけて、現在広く使われている溶接法の原型が次々と開発されました。第二次世界大戦を通じて、サブマージ溶接、ティグ溶接、ミグ溶接などの現代の主流となる溶接法が開発され、工業化社会の生産技術の中心となりました。
ここに来てやっと溶接法の原型が開発されたとか・・・(^^;; この何十年も前に日本軍は兵器や軍艦を沢山造っている!? 掘り起こして再利用しただけかもしれません!
日本における溶接技術の普及
日本では戦後に溶接技術が本格的に導入され、迅速な普及と進展を遂げました。種々の改良が加えられ、日本の重工業の発展に大きく貢献しました。
ハイテク時代への突入
1948年に電子ビーム溶接、1960年頃にレーザ溶接法が開発されると、溶接技術はさらに進化しました。これにより、材料や構造に応じた最適な溶接法を選択できるようになり、溶接接合品質の安定化や作業の高効率化が目指されています。
↑この無人島「猿島遺跡」に酷似した軍事要塞「千代ヶ崎砲台跡」。公式では猿島の建築の10年ほど後に造られたとか・・・これら東京湾要塞、とても興味深い遺跡です。
未知の文明の痕跡: 千代ヶ崎砲台跡
三浦半島に位置する千代ヶ崎砲台跡は、まるで未知の文明からのメッセージのよう。1892年から1895年にかけて建設されたこの地下要塞は、首都東京を守るために築かれました。今にも残るレンガ造りの施設や地下の砲座は、明治時代の日本がいかに先進的な軍事技術を有していたかを物語っています。
と言うのが一般的公式の見解です。わずか3年で完成させていると言うことに疑問を抱かない理由がありません。先進的な軍事技術を有していたのではなく、もしかしたら「そこ」に元々あって掘り起こして使っただけかもしれません。
軍事地下要塞: 東京湾要塞の一部
千代ヶ崎砲台跡は、東京湾要塞の一部として機能していたことで知られています。この要塞は、首都と横須賀軍港を守るために設けられたもので、28cm榴弾砲を備えた堅固な防衛施設でした。2015年には国の史跡に指定され、2016年には日本遺産にも認定されるなど、その歴史的価値は計り知れません。
つい最近一般公開される様になった千代ヶ崎砲台跡。ツアーガイドさんもいてなかなか面白い軍事要塞遺跡です!ガイドさんと私のマネージャーはどんどん先にいってしまって、一人取り残されならがも撮影しましたw
マッドフラッドの謎: 地層に刻まれた歴史
マッドフラッド、つまり泥の洪水は、地球上で過去に発生したとされる大規模な洪水です。この洪水が文明にどのような影響を与えたのかは、科学的な研究によってまだ完全には解明されていませんが、千代ヶ崎砲台跡のような遺跡は、その痕跡を探る手がかりとなり得ます。
千代ヶ崎砲台跡は、戦後は海上自衛隊の送信所として利用されていましたが、現在は市が管理し、史跡として整備されています。この地下要塞からは、マッドフラッドの痕跡を探る研究者たちにとっても、貴重な情報が得られるかもしれません。
日本の地下要塞: 過去と現在を繋ぐ遺跡の謎 まとめ
日本の地下には、過去と現在を繋ぐ多くの遺跡が存在します。千代ヶ崎砲台跡のような場所は、私たちにとって未知の文明の痕跡を探る冒険であり、軍事地下要塞の全容を理解するための窓口であり、マッドフラッドの謎を解き明かす鍵となるでしょう。歴史に興味がある方、冒険心をお持ちの方は、ぜひこの神秘的な地下世界を訪れてみてください。歴史の息吹を感じる旅が、あなたを待っています。
最後まで読んで頂きありがとうございます!横須賀にはこの千代ヶ崎砲台跡、猿島、そして観音先砲台跡と軍事遺跡が目白押しです!未知の文明の痕跡なのか?マッドフラッド的視点で見るこの様な遺跡ツアーはとてもお勧めです!
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